いちの木の小屋と山

昭和~~な小屋をリフォームしたり、山やったり畑やったり、猪捕ったり、いろいろやって生きてます

「森の生活」読み比べ

 

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ヘンリー・D・ソローの「森の生活」

 

「難解だ」という評価に怖気て

手に取ることがなかったのだけれど

なんだか読みたくなった。

 

自分にしっくりくる翻訳はどれだろう?

ということを探すため、

翻訳者(出版社)違いの3冊を借りてきました。

 

 

翻訳者はその仕事の中で

軸足をどちらに置くのか、それぞれの加減があるのでしょう。

 

ネット上でも、どこの翻訳が良いか

と話題に挙げている人が何人かいた。

 

原書に忠実であろうとするばかりに、

日本語で何を云わんとするかがわかり難い、

だから海外ものは苦手、という人もいれば

そーゆう文体が好きな人もいるらしく、

要は好みなのでしょうけれど、

私としては日本語としての文章に力があって欲しいと思う。

 

軸足は日本語派。

 

絶対に同じには訳せないんだもの。

であれば、日本語で、作品の良さが伝わる文章に仕立て直して欲しい。

 

 

あちらこちらと読みながら、

ソローの言葉を 噛み締めて 噛み締めて

本閉じて。

しばらく、その言葉を味わって。

 

また開いて。

 

ゆっくりゆっくり読んでいる。

いっぺんに読み切ってしまうのが惜しくて。

 

共感することが多くて、

その過激さに

時に笑いながら読んでいます。

 

こーゆーこと

社会を敵にまわすようなこと、

私はよー書かんな。

 

 

 

ソローは200年近く前に生きた人。

この本を書いたのは1854年だというから37歳の時にあたるのだが

たしか、森で生活していたのは29歳の時だった、と書かれていたような(気がする)。

そして、亡くなったのが44歳。

 

あまりに若い。

 

これまで、何人もの訳者がこの本を翻訳してきたけれど、

難解、といわれるのはその訳のせいなのか?

書かれていることの時代背景・内容が理解し難いのか?

 

 

 

宝島社出版の訳者、真崎 義博氏は

この本を書いたソローは若かった。

100年以上も昔に生きた人としてではなく、

現代にも通じる若者の書としての文体で書きたかった。

と、言っている。(うろ覚え、だいたいそんな感じ)

 

また、アマゾンのレビューを読んでも

この人の翻訳ではじめて、森の生活に書かれていることが本当にわかった。

というものもあった。

 

 

 

3冊を読み比べた結果。

 

小学館出版の今泉訳は、ちょっといただけない。

です、ます。言われると、流れがぶちきれて

話しに入っていけない。

 

宝島(真崎訳)と岩波(飯田訳)では甲乙つけ難く、

ときにこちらが良く

ときにあちらが良い

という訳で、おお、悩むーーー

 

 

結果。

真崎訳は現代調で言葉の選択が平易であるのが

長所でもあり、物足りなさでもある。

ということで、飯田訳の岩波文庫をアマゾンポチッとしたところ。

 

飯田訳の文学らしい言葉選びと

ソローの過激さのバランスが面白い。