小屋暮らしの日記 byいちの木

築50年、昭和~~な小屋をせっせとリフォームしながら暮らしてます! なるべく働かず、いろいろやって生きてます。

「FAKE」 狐につままれてきました

 

 


映画「FAKE」森達也監督独占インタビュー

 

 

金曜日にオールナイトで観てまいりました。

森達也監督作品3本立て、前売り価格2500円!

「A」「A2」そして、最新作の「FAKE」

私はまだどれも観たことがなかった上に、

監督来場トークあり!

お得感に惹かれて迷わずGO!!

 

上映前に森監督がトークの中で話した

「A」が映画となった経緯。

 

もともとはテレビの取材としてオウムを撮ったのだが

テレビが欲しがる絵に撮れていなかったためであろう、

これは使えない、と撮影2日で却下されてしまう。

フジに断られても他のテレビ局もある、と撮影を続けたが

どこに持ち込んでも全て断られたため

しょうがなく映画という形になったのだ、

とのこと。

 

上映前に話すべきじゃないかもしれないけど、

先に言っちゃうと、

テレビで受け入れられなかったのは

見てもらえばわかると思うけど、

オウムの人たちがごく普通の人間として見えるからだと思う。

 

「危険な殺人集団」もしくは

「理解不可能不気味な狂信者たち」

当時、そこに当てはまる以外の絵は求められていなかった。

 

そして今も、そして当時よりさらに、

メディアで消費されるゴシップはわかり易い善悪対比

勧善懲悪である。

 

この延長線上に

「FAKE」も位置する。

 

これね、雨宮処凛さんに言わせると

「みんなでいびり殺していいリスト」の共有だってさ。

 

ぎゃーーーーーーっっ

解説明快すぎて怖いーーーーーーっっっ

 

 

www.magazine9.jp

 

さて、森監督の言葉に戻ると、

 

ドキュメンタリーはそれを撮った人の表現である。

実際の物事を忠実に写しとったものではないし、

一つのゆるぎない、真実なんて、ないのだ。(って感じで言ったと思う)

 

という、当ったり前の事を「A」の画面からはひしひしと感じる。

 

オウム真理教とは何か?について描かれているようではあるが、

そんなことは映画観たところでわからない。

オウム信者と森監督の関係

森監督の目線が映像からひしひしと感じられるばかりだ。

 

オウム真理教とは何か?

それは信者ひとりひとりにとってさえも違う。

 

しかし、尊師は絶対、ってとこはみんな同じだったよ。

 

 

 

 3本続けて観ると、やっぱ「A」、すごいよね。

オウムの内側から撮ってるから視角が特別であるのはもちろんのこと、

さらりとしつつも食らいつくような森目線をビンビン感じる。

 

警察やメディア関係者のいやらしさも

めったに見ることのできない視角。

 

森さんのスタンスって、

左翼だとか、似非人権派だとか、

ま、人によって捉え方はいろいろだろうけど

私にとっては絶妙抜群なる目を瞠る立ち位置。

 

物事の捉え方、行動の仕方や表現方法もドンピシャ、

真剣、かつ、暑苦しくなく、

う~~~~ん、たまらん。

 

日々、個人個人が自分で向き合うべき

ひっかかりを感じながらも日々に流され先送りにしている事柄を

見事に釣り上げて提供してくださいます。

 

 

 

さて、15年ぶりの最新作「FAKE」

なんかこれ、大絶賛の映画みたいなんだけど

そこまでかな?

面白かったっちゃ、面白かったけど。

 

観る者自身(私自身)のFAKEにも迫って

揺さぶりをかけて欲しかった。

それとも私が鈍感だったのかな?

 

被写体のキャラが濃すぎて邪魔したって、あるかもなーー?

 

 

 

ラストの12分は衝撃です、というふれこみなのだそうが

私は ぽけっ?

としてしまった。

 

上に貼った動画中で、ラストはひっくり返したかった、

しかし、白黒が反転するというのではなく。

対消滅のように、お互いをぶつけて0にする、って言ってるから

その効果を狙った編集なのだろうけれど、

まさに、へ?

 

映画を観る前の、起点にワープでつれもどされた感じになりました。

 

 

 

ぽけっ、としたまま映画館を出たら

カンカン日和を約束する

明るい朝の陽ざしにあぶられた。

 

暗い中で森映画を3本観た者にとっては

キツネにつままれたような気分。

 

確かにこれは夜観るにぴったりか。

オールナイト向けの3本でした。