小屋暮らしの日記 byいちの木

築50年、昭和~~な小屋をせっせとリフォームしながら暮らしてます! なるべく働かず、いろいろやって生きてます。

もう一人の私の死

 

インドネシア在住の友人が訃報を知らせてきた。

おちゃらけたフェイスブックの記事のコメント欄に

「もう誰かから聞いた?」

だと。

 

 

 

亡くなった友人からの最後のメールが4月末。

「鼻水がひどくてティッシュ一箱開けた

咳が止まらず絶不調、

でも、そろそろ回復の兆し。」

 

しかし、それから一か月回復することなく

6月2日に肺炎で亡くなったらしい。

 

私は彼女と親しいつもりでいた。

たまにメール交わす程度だけれど

いつだって言いたいことが通じた。

 

インドネシアに行けば必ず彼女と会った。

彼女が日本に来れば会いに行った。

 

子供同士も年が近いから

教育のことについてもよく話したし

お互いの子供の成長を喜んで見てた。

 

「なにか食に関する仕事をやりたいよね」

なんて、考えることが似ていた。

 

自然な暮らしを求めていて、

だから、彼女がなかなか病院へ行かなかったことも

よくわかる。

 

私だっていつもそうだったもの。

 

知らないうちにいなくなっちゃってたんだ。

 

 

 

 

彼女が選んだ暮らしは

私が選んだかもしれなかった

でも、選ばずにきた、もう一つの選択肢。

 

彼女はインドネシアに暮らすことを選び、

私は、

日本に帰ることを選んだ。

 

それでも、私のインドネシア暮らしは

彼女を通じて、どこか、終わっていない気がしていた。

 

土地を買って、ヤシやマンゴの木を植えて

木陰にはカカオの木を植えて

だなんて、勝手に想像してた。

 

それが、突然、ぷつりと消えてしまった。

 

 

 

 

それから、

娘として、家族との関係についても思う。

 

ことさらにそんな話をしたわけではないけれど

彼女も育ってきた環境と真逆の人生を選んで

インドネシアに暮らしたのだと思う。

 

自分に似たにおいを感じてた。

 

 

 

さらにひどいことに

旦那さんも10日もしないうちに次いで亡くなったのだという。

 

彼女が亡くなった後、看病疲れからか

見るからに憔悴しきっていたのだというけれど、

殺したって死なないような男だったのに、

息子残して死ぬかよ。

 

 

これが、私にとって初めての友人の死。

 

去年は友人が大病で入院、手術が重なっていたけれど

だんだんと、そんな話が増えるのかもしれないけれど

こんなところにこんな話し書いてどうすんだよ、だけれど

 

私の身の上に起こったわけではないけれど

起こったかのような気がして

記させていただきます。